ワタシの兄貴が今日死んでしまった。

家族の死をブログに書くことはどうなんだろう

と思ったが、どうでもよくなった

ただ今日感じたことを書き留めておきたい

 

学校帰り、電車も降りて家に向かってる時に、

ちょうどお母さんに用があったから電話した

そしたら「翔太(兄)が仕事場で事故にあって心肺停止になっちゃったよ!」と泣きながら言ってきた。

もう家に着く直前だった。

胸騒ぎがするとかそんなんはなかった

なんで?どうしたの?しか思えなかった

でもヤバいっていうことはわかったから家に着いたらすぐ荷物を置いてチャリに乗って病院へ向かった。

漕いでる間も、なんで?どういうこと?しか考えられなかった。焦ってはなかった。でも心肺停止じゃ、もうヤバくないか?と冷静に考えてた。

病院に着いてちょうどお母さんから電話がきた。

「翔太が死んじゃった」

この時、ああもうどうにもなんない。っていうことしか考えられなかった。

 

到着したら翔太の会社の人が頭を下げてきた。

親父に詳しく聞いたら、

「クレーンの点検をするのに、本当は二人でやらなきゃいけなくて、いつもは二人でやるんだけど、今日は翔太一人でやっていた、そしたらおそらく左手で触っちゃって感電した。その場には翔太しかいなかった。だから、感電してだいぶ時間が経ってから会社の人が発見した。病院へ行くまでに感電してから1時間くらいは経ってたと思う、心臓マッサージも1時間半やった」と言っていた。

翔太に会う前にその話を聞いた。

なんで一人でやらせたの?というか、もう翔太はたぶん早く仕事を終わらせたかったんだと思うし、会社の人をあてにしてなかったんだと思う。

 

ワタシと翔太はホンマに仲良くて、趣味も合うし話も合うし、考えも全く同じだった。

大好きだったし、翔太みたいな彼氏が欲しいって思ってた。

 

翔太は昔からバンド系の音楽を聴いてて

翔太が高校生の頃くらいに、

よくBUMP OF CHICKENとかRADWIMPS

部屋でかけていて、自然と耳に入ってた。

そこから自分も大好きになって、翔太ともライブに行くようになった。

ライブの帰りにはファミレスに寄って、その日のライブの感想を言い合ったりして、それがとてつもなく楽して、それもライブに行くことの楽しさの一つだった。

月に1〜2回、フライデーナイトにどっちかが急にLINEで今日どっかメシイコーゼって言って、よくメシにも行ってた。二人で話しまくってた。

翔太も、ニッケとメシ食いながら話してる時が一番楽しいわ!と言ってくれていた。彼女はいたけどね。

そのくらい仲が良かった。

 

話は戻るけど、

病院について話を聞いて、少し経ったら、

翔太の元へ行った。

翔太のところへ行くまでは、死んでるっていう事実を知ったとしても、信じられないし謎に冷静だった。

ザワザワはしてた気がする。ザワザワというか、

死んでしまったという事実が確定してしまって、

絶望してた。自分が着いた時にはもう死んでた、

心臓マッサージをしてる時に、頑張って!生きて!とできなかったことが悔しかったんだと思う。だから余計、絶望した。

 

それで、翔太の元へ行った。

顔が真っ白で口と目が半開きの状態だった。

あぁあの時と同じだ、と思った。

ちょうど2年前くらいに飼っていたポメラニアン

自分たちの不注意によって死なせてしまった。

急な別れだった。

愛らしい顔が、ほんとに悲しい姿になってた。

死ぬってこういうことか、と少し理解できた気がした。

その時と同じ顔をしてた。

 

人間死ぬと別人になる。

顔は翔太だけど、いつもの翔太と全く違った。

その時の心臓の違和感と言ったら...

涙が大量に出てきた。

死んだ ということを突きつけられた。そんな感じ。

触っても、温度がなくて、マネキンみたかった。

ほんとに置物みたいで、生気がなかった。

揺さぶっても、物のように動くだけ。

手を握っても、もう指が硬くなってた。

触っても反応がない。

何も言う気にならなかった。声が出なかった。

ただ絶望感と涙が止まらなかった。

死ぬってどういうことか考えた。身内の人が死んだことがあまりなかったから、人が死ぬってことがよくわかんなかった。好きな芸能人が死んだとしても、たぶん、涙は出ないと思う。死んだ って言われても、どういうことかわからないし。

 

でも今日は違った。自分の家族が死んだ。

しかも、大好きだった兄貴。

死んじゃった、じゃあこれからどうなる?って考えた。

もう一生話せない、一緒にライブに行けない、いきなりファミレスに行ってメシを食べれない、

これが一生。もうできることは絶対ないってこと。

考えたらすごく悲しくなった。

でもこの悲しみは大きくなる一方なんだと思う。

 

話したいな、と思ってももう話せない。

大げさかもしれないが、これからその壮絶な悲しさを味わっていくのが怖かった。

生き返ることは絶対にないって冷静にわかってた。

生き返って欲しいとも思わなかった。

もちろんそんなことできたら、やって欲しいに決まってる。でも絶対に無理だってことはわかってる。

だから絶望してた。悲しみもあるけど絶望のが大きいかもしれない。

 

翔太はいつも"アー会社行きたくねえー"って言ってた。単純な言葉だけど、いつも言ってたから、

ほんとに嫌なんだろうなってわかってた。

でも本当に嫌なこととか、悩みって、人には言えないよね?解決はしようとする、でも解決できないから、本当に嫌で悩み続けるんだよ。

ワタシも高校の時はマジで学校に行きたくなかった。

でもお母さんに相談できるわけがない、先生はあてにならない。解決しないことはもうわかりきってた。

だから我慢するしかない。

翔太もそんな感じだったんだと思う。

会社行きたくねえけど、この暮らし(一人暮らし)を手放したくねえからやるわ、って前に言ってた。

 

もうしょうがない、死んでしまったらもう何もかも終わり。何を思ってもしょうがない。

ただ一番に思うことは、もう一生会話ができないことが辛すぎる、自分も死んでやりたい、心の底から思う。誰か明日にでも殺してほしい。痛いのはやだから一瞬で。もう会えなくて、これから大きくなり続ける悲しさが怖い、だったら死にたい。今すぐ。

それであの世でまた翔太に会いたい。

 

翔太が死んじゃったのは98%は事故だと思う。

会社の人も、お父さんもお母さんも、病院の人も、警察の人もみんな思ってる。

ただ目撃者がいないから、もしかしたら事件性があるかもっていうんで、警察が調べるんだけど、

たぶんというか絶対に事故だと思う。

その場には翔太しかいなかったから。翔太はもともと体も病気してなかったし、急変して!とかでもないと思う。ただひとつ、この状況で頭に浮かんだことがある。

 

ワタシと翔太はちょうど10年違いで生まれた。

翔太は1989年生まれ、ワタシは1999年生まれ。

何が言いたいかというとこれから説明する。

まずBUMP OF CHICKENというバンドの1枚の

アルバムに「orbital period」というタイトルのものがある。これは「公転周期」という意味がある。

たぶんこれに関係してるんだと思うんだけど、

自分が28歳になった時、生まれた時と同じ曜日になる

という事実がある。これはみんなそう。

BUMP OF CHICKENのメンバーは28歳という年がすごく特別だ、と言っていた。

その話をよく翔太と話していた。

去年で28歳になったのだが、

俺もオービタルピリオド、28歳特別な年だなー、28で死にたいな、とふざけて言っていた。

そしてもう一つ翔太の好きなバンドで、

フジファブリックというバンドがあって、

その旧ボーカルの志村正彦は29歳で亡くなってる。

翔太はフジファブリックも大好きで、

曲はもちろん、志村正彦が書いた本を熟読していたりした。今書いたことで、想像つく人がいるかもしれないが、もしかしたら、翔太は本当に28歳で死にたい、と思っていて、そういう運命になったのかもしれない、と思った。そんなのありえないじゃん、と思うかも知らない。でも、ワタシと翔太にとって、2017年は本当に特別な年だった。好きなバンドのライブに行きまくったから。そして素晴らしいバンドと運命的な出会いもした。ワタシはまだだけど、翔太はオービタルピリオド、28歳だった。ワタシより翔太のがうんと特別な年になってたと思う。だからもしかしたら、と感じた。

そして翔太の29歳の誕生日が死んだ日から5日後、

9/2だった。もうすぐだった。

これは偶然なのか、どんな運命だ、と思った。

これはたぶんワタシしか考えられないことだと思った。

 

事故死からこんなことを考えるのは不謹慎かもしれない。悲しすぎて頭がおかしくなってることはわかってる。ただ思ったことを文字にしてみた。

何が言いたいとかはまとめってわけじゃないんだけど、

ほんとに大切な人はいついなくなるのか、わかんねんだなと思った。

 

悲しい。どうしたらいいかわからん。

だからもういっそ自分も死にたい。もうやだ。

自分の周りの大切な人がどんどんいなくなる。

なんでなんだろう。自分なんかしたかな。

生きてて悪いこと、してないんだけど。

 

なんで翔太なんだろ。もう嫌だ。

自分も死にたい。翔太にもう会えないなんて嫌だ。